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「そのひとりのキャリアストーリー vol 7」バレエダンサー・前澤香苗さん」

「バレエを通じたそのひとりのキャリアのストーリー」をご紹介するシリーズ。

今回は、海外で活躍したのち、帰国し新たな分野で出版、子育てと、バレエを通じてキャリアチェンジを重ねている前澤香苗さん(以下、香苗さん)のインタビューです。


「バレエが好き。本格的にやりたいと思った」

添田「バレエを始めたのはいつ頃からですか?」

香苗さん「バレエを始めたのは小学校2年生の時で、本格的に始めたのは中学2年生の時です。それまではバレエは週1回程度でした。

週4ペースで水泳の選手コースに入っていて、本腰を入れてバレエを始めたのは中学校に入ってからでした。」

添田「そうだったんですね。水泳とかバレエは、ご自分でやりたいと思ったんですか?もしくは、親御さんからのアドバイスですか?」

香苗さん「バレエは自分からやりたいと言いはじめたみたいです。それ以外にも、ピアノと水泳も全部続けていて、うちは母親が元々陸上選手で結構厳しかったので、バレエをやりたいんだったら、水泳もピアノもある程度のところまでやりなさいと言われていました。

バレエをやりたいがために一生懸命やっていましたね。

中学2年で進路を考える時期にやっぱり私はバレエをやりたいと思ったんです。もっと回数をやれるところを探して、水泳をやめました。そのとき、私が本気でやりたいことをやっとできる! という感覚になりました。」

添田「そうだったのですね。その時は、勉強はどうしていましたか?」

香苗さん「勉強に関して私は結構そっちのけでしたね(笑)

学生時代、塾というものには一度も通った事がありません。
母は、勉強は学校でしっかりしなさい!という考え方だったので、主には自主勉強という感じでした。」


「ケガのアクシデントを乗り越えてスイス留学へ」

香苗さん「中高一貫の学校だったので、幸い高校受験はありませんでした。

中学2年の時にバレエ教室を変わった時、先生に「あなたが今までやっていたのはバレエではありません。今バレエを始めたと思って下さい。」と言われ、そこからは遅れを取り戻す為にも水泳も辞め、残りの中学・高校生活はバレエに打ち込む毎日でした。

しかし、一度身体が覚えてしまった事をまた違うやり方で習得し直すという事は容易ではありません。特に、足の使い方は基本と全く逆の筋肉の使い方をしてしまっていたので、身体への負担が大きく、高校1年の時にケガをしてしまって、手術を受けました。踊りを再開出来るまで3ヶ月かかりました。

その後、全日本バレエコンクールに出場しました。

手術から間もないうちに少し無理をして予選に出たのも要因の一つだったと思うのですが、その後痛みは続き、手術した場所が癒着している可能性が出て、数年後に再手術になってしまったんです。」

添田「ケガも乗り越えつつ、コンクールも出場していたと。

大変でしたね。香苗さん、それから海外に行かれたのですよね。」

香苗さん「高校卒業前に進路を決める頃は、先生の免許を取りたいと考えていました。

ちょうどその時、バレエの先生からスイスのほうにいい学校があるらしいとお話をいただいたんです。就職前にコンテンポラリーを習えたり、履歴書の書き方を教えてくれたりといったサポートを受けられる学校がスイスのチューリッヒにあったんです。

私は中2からずっとバレエに集中してきて、先生はこのまま私がバレエを嫌いになってしまうかもと思ってくださったようでした。そこで、海外でコンテンポラリーとか学んでみては? ということで、つながりのある方が東京でのオーディションを開催するとあってご紹介いただきました。」

添田「なるほど、オーディションを受けて行ってみたということですね。18歳の時ですね。海外に滞在したのは1年間ですか。」

香苗さん「基本は1年間のプログラムでしたが、希望すれば延長できました。実際に、前年から継続している人もいれば、帰国する人もあり、就職してカンパニーに行く人とさまざまでした。私も1年では足りずに2年通って日本に帰国しました。」

添田「その後はどうされましたか?」

香苗さん「スイスの学校の先生には『あなたはクラシックのタイプだから』という風に言われていたんです。

コンテンポラリーも好きでしたが、学校に居る間にはオーディションに行かせてもらえなかった。どこか不完全燃焼な思いがあったまま帰国しました。

スイスに行く前にお世話になり、帰国後にはそのバレエ団に・・・と考えていた所がありましたが、帰国後には『やっぱり向こうでオーディションに挑戦してみたい』という想いが強くなりました。

最初の渡欧と同じく、またスイスへ渡り、バレエやコンテンポラリーのクラスを受けたりワークショップを受けたり、オーディションに挑戦してみたりして3か月ほどスイスにいました。そのときに私やっぱりコンテンポラリーの方が好きかも、という思いが芽生えていました。ですが滞在できるのは3か月だけなので、日本と何回か行き来していたんです。

日本に帰国中は、海外から講師を招いているスタジオでオープンクラスを受けていました。そこに来ていらっしゃった先生達に、様々なアドバイスも頂いて、オーディションを廻るならベルギーに拠点を置いて行くと良いと教えて頂いて、また3ヶ月の期間、ブリュッセルでオープンクラスを受けながらオーディションを廻りました。

私には兄がいて4年制の大学に行っていたので、母からは『高校を卒業したら4年間だけは好きにやっていい。それでだめだったら、ちょっと考えなさい』と言われていました。

スイス留学で2年、その後日本とヨーロッパを行き来して2年たとうとしていたので、この時が最後のチャンスでした。

これで仕事が決まらなければ、ダンスは辞めるつもりでオーディションを廻り、契約を取る事が出来ました。

添田「カンパニーに入ったんですね。どの国のカンパニーでしたか。」

香苗さん「ポルトガル・リスボンにあるカンパニーです。

リスボンにはすごく入りたいと思っていたカンパニーがありました。けれど、契約を取れたのは違うカンパニー。行く事を迷いましたが、ベルギー滞在を進めてくれた方が、リスボンなら素晴らしいカンパニーもある(入りたかった場所)、首都なので様々な公演も観れる。何も無いより、コントラクトにサインして、リスボンに居ながら次を探したら良い!」と進めてくださって、行く事を決めました。

そこにいたのは一年ぐらい。その間に、入りたかったカンパニーへプライベートオーディションに行き、とても気に入ってもらったのですが、そのカンパニー自体が急に解散になってしまい、たまたまその時居たカンパニーに教えに来た方がプロジェクトを立ち上げるとの事で声を掛けてもらって、そちらに移りました。

添田「次、というのはプロジェクトカンパニーですか?」

香苗さん「そうですね。その仕事をしている間に、また次の仕事のオーディションを受け、次の仕事をもらうというフリーランスの形で4年程活動しました。

結構リスキーです、次があるかどうかわからないという意味で。けれど、コントラクトがある間は月給制でお給料をもらえるので、その点は安心でした。

添田「月給だったんですね。4年ぐらい色々な形でコンテンポラリーを踊って、そこから日本へ帰ろうと考えましたか?」

香苗さん「元々、海外で活動したいと思ったのも、いずれ日本で自分の作品を創る為に、引き出しを増やさなければ!という思いがありました。なので、様々な動きを体験してみたかったし、様々なクリエーションに参加して、色々な創り方を見てみたかったという思いが強かったです。準備が出来たら、いつか必ず日本に帰ろうと思っていました。

添田「なるほど。吸収するためのヨーロッパ滞在だったんですね。」

香苗さん「帰国前の最後のプロジェクトは、ずっと働いてみたいと思っていた振付家との仕事でした。この公演では、私と男性ダンサーが踊ったデュエットが作品の中の一番の見せ場であったと新聞で名指しで評価を頂いて、とても嬉しかったです。

しかし、このデュエットは私と男性ダンサーとで創り出した動きを組み合わせたもので、自分達で創り出したものでも、振付家の作品の一部でしかないことに少し疑問を感じました。

やっぱり、自分で創った物を自分の作品として発表したい!と強く思い、帰国を決めました。それからは、帰国後の話になります。


「自分の引き出しを増やそうと思った理由」

添田「香苗さんは、30歳ぐらいまでは踊りに集中していましたか?」

香苗さん「そうですね。帰国してからは、ダンス以外の事に目を向ける事を進んでやるようにしました。

ヨーロッパでは勿論踊りに集中していましたが、ヨーロッパでの生活で様々なジャンルのプロフェッショナルに出会う機会も沢山ありました。音楽家、美術家、建築家・・・様々な方との交流を通して、自分の物の知らなさを痛感したような気がします。

そんな経験を通して、日本に帰ったら、今までして来なかった事をしようと決めました。一人旅にも良く行きましたし、日本の文化を改めて感じたいと寺社仏閣を沢山巡ったりもしました。こだわったカフェを巡ってみたり、自然農業などやっている場所を訪れてみたり、様々な新しい出会いもありました。

添田「自分の幅を広げて、視点を養いたいと思われたのですね。それはどうしてですか?」

香苗さん「やはり、ヨーロッパで出会った魅力的な方達の影響は大きいと思います。どんなジャンルにおいても、その分野で秀でている人達は本当に人間的に魅力的な方達ばかりでした。

特に、踊りで何かを表現しようとする時、その人の為人が全て出てしまうと思っているので、とにかく自分の中身を磨かなければと思いました。

私は、自分がダンスで活動をするならば、映画を見る感覚でダンスを見に来れる様な公演を企画出来たらと思っていたので、どうしたら人がダンスという物に興味を持ってくれるか、いつも考えていました。

そういう文化が根付いていない場所で、どうしたら興味を持ってもらえるか。なかなか難しかったですが、その時期があったから、様々な視点から物事を見る事に面白さを感じる様になれたと思います。

添田「本当に何事にも無駄はないですね。香苗さんにとってそこが転機でしょうか。

香苗さんは煮詰まったという表現をされましたが、バレエ経験者の方にお話を伺っていると、ケガで自分を見つめる時間になったとか、就職がなかなかできなくて、それでたまたまアルバイトをしたら、アルバイトしたところから人脈が広がって、ちょっと視野が広がった、とか、なにかのきっかけで拓けることってあるようですね。」


「足を痛めたことで、足もみと整体を学ぶ道へ」

添田「日本に帰国後の活動についてもう少し詳しく聞かせてください。帰国後は、どんな活動をされましたか。」

香苗さん「帰国して最初に取り組んだのは、足もみの資格(※官足法 認定講師)を取ることでした。全て自分の経験に基づいています。スイス留学の時にも、また足が痛くなってしまって、帰国してもう一回手術しているんですよ。」

添田「2回目の手術を受けたんですね。」

香苗さん「手術後オーディションを廻っていた時も、足に痛みを抱えていました。

私の母は若い頃、日本選手権にも出る程の陸上選手でしたが、絶頂期にアキレス腱を切って選手生活を断たれていて、私にも同じ思いをさせまいと足揉みと整体を勉強してくれていました。

母も様々な治療を受けた経験がありますが、足揉みは今までの物とは違うと感じたようで、足揉みを強く薦められました。

就職が決まった後、仕事ができないほどに痛みが強くなったので、騙されたと思って自分で足をもんでみたんです。するとパタッと痛みが無くなって。ヨーロッパでの4年間は毎日足をもんでいました。ダンサー仲間の身体の不調も足揉みで嘘の様に改善し、その効果に私もビックリしました。

そんな経験から、帰国してまず資格を取得しました。

結婚してフランスに行ってからも、公演を観たり体を動かしたりしつつ、日本人の方、ダンサー、スケート選手、俳優さん、足のセルフケアの方法をお伝えすることで報酬をいただくようになりました。」

参考サイト>>「管足法」Body Care講師ーKanae Maezawa

添田「なるほど。新たなキャリアですね。
ざっくりと言うと、足もみするというのは、血流が悪いのを改善するということですか?」

香苗さん「そうなんですよ。足は心臓から一番遠い場所にある分、老廃物が一番に溜まります。

バレエは、トゥシューズで足を圧迫している上、脚部の筋肉をとても使うので、滞りがおきやすくなります。使った場所のアフターケアがしっかり出来ていないと、本来通れるはずの血液が通れなくなり、滞りがおきてしまうのです。

足を揉む事で血液循環が良くなると、自然治癒力が高まり様々な症状が改善されていきます。私自身がその手技にとても助けられました。

特に海外に行っていると、病院に行く事になかなか抵抗がありました。薬の説明も、良く理解できません。

ダンサーという身体を酷使する仕事だからこその毎日のケアと、日常生活での風邪やお腹が痛い、頭が痛い・・などの症状も、自分で出来るケア方法があるだけでとても心強かったです。そして、この自分も助けられた、簡単で毎日自分で出来る方法をもっと沢山の人に知って欲しいという思いも強くなりました。」

添田「面白いですね。以前は自分で踊ることにだけ興味があった。足を痛めて手術を受けた経験から、興味をもつ対象が変わった。今度はそれに取り組んでいかれたのですね。」


「バレエを通じてパートナーと出会う」

添田「香苗さんは足もみの資格取得と並行して、踊りも続けていたのですよね。少し話を戻すと、ポルトガルから帰国後、踊りの方はどんな風に活動されましたか。」

香苗さん「帰国後は教えをしながら、色々な活動をしているかたの公演なども見に行きました。そこで友人の紹介で出会ったダンサーが私のDVDをみて、一緒に作品を創ろう!ということになり、作品を創って発表したり、ソロでの発表などもしていました。」

添田「なるほど、ポルトガルにいたときに思い描いたように、自分たちで企画したことをやっていたんですね。」

香苗さん「自分で企画し、場所を探し、宣伝をしてチケットを売って・・・という活動はとてもやりがいがありましたが、いつしか全ての責任を負うという事に疲れてしまって、このままで良いのだろうかと悩んだ時期がありました。

そんな時、フェスティバルトーキョーというフェスティバルで、フランスの振付家ジェローム・ベルの作品の日本版キャストの募集を見つけて応募し、参加できる事になりました。ジェローム・ベルはパリオペラ座にも作品を提供もしており、世界的にも有名な方でした。

そこで、今まで自分がして来たダンスとは全く違う新しい経験をしました。その作品に出演できた事で、改めて自分が本当にしたいダンスとは?と考える大きな機会になりました。」

そこで出会ったのが、今の主人でした。

主人自身はダンスをしないのですが、コンテンポラリーダンスの舞台表現などを研究していて、公演後のジェローム・ベルのインタビュアーをしていました。

彼はその時点でフランスに行く事が決まっていたのですが、この公演を機にもう一度、今まで見て来なかったタイプの公演を色々見てみたい!と思っていた私に一緒にフランスに行かないかと誘ってくれて、その後一緒にフランスへ渡りました。」

添田「フランスでは踊っていたんですか?」

香苗さん「フランスでは、とにかく沢山の公演を観たいと思っていました。ダンサーとして踊りたいという気持ちでオーディションを受けていた頃とは全く違うモチベーションでしたね。

主人はジェローム・ベルを主に研究していました。

彼の作品は、年齢もバックグラウンドも全く異なるパフォーマー達を舞台にのせ、本当のダンスとは?と問う作品を創っていたり、ダウン症などの障害をもった方達と舞台を創ったりと、見る側、見せる側の間にある距離の取り方や、そこに発生するものを大事にしていると感じるもので、私にとってとても興味深い最も影響を受けた振付家と言っても過言ではありません。

そんな作品を観ることを通して,人間そのものに興味がわいてくる様にもなりました。それまで私は自分のやりたいダンスに一直線でした。

自分の事だけ考えていた気がします。けれど、結婚という事を通して、人と暮らす事、自分の事だけでなく、相手をサポートするという事など、今までして来なかった事をやる時間も必要だと感じました。子供も欲しいな・・・と思っていたので、母になる準備にはそういう経験も必要だと感じていました」

添田「踊るために渡欧していたのが、今度は大切なパートナーとの暮らしの場としてフランスへ渡って、そこで得られたことも今につながっていらっしゃるんですね。お話を伺っていると活かせない経験はないとも感じます。」


「母の後押しに支えられたキャリアチェンジ。次は息子たちの選択を応援」

添田「香苗さんが打ち込まれてきたことを、少し別の視点からお伺いします。踊る側から伝える側、教える側へキャリアチェンジされる様子をお母様は応援してくれていましたか。」

香苗さん「そうですね、母はずっと、とにかく好きなことをやるのであれば応援するよ、という感じでした。

あとは、アドバイスとしてなにか手に職ではありませんが、『体をそれだけ使っている人が自分の言葉で発信すると説得力があるよ』という話を母がしてくれて、じゃあ資格を取ってみようかなと思ったんです。資格を取るにあたって母の後押しがありました。」

添田「なるほどね、今は香苗さん自身が親にもなっていますよね。子どもとしての視点も、親からの視点も、両方もちますよね。今どんな感じですか?」

香苗さん「私が母に感謝しているのは、私がやりたいことに対して、自分で決めて進むことに対して応援してくれていたことです。小さいときに同時にやっていた水泳やピアノは進んでやりたいとは思っていませんでしたが、バレエはやりたい気持ちを強く持っていました。比べる対象があったからこそ自分はバレエが好きなんだなと確認することができたし、バレエをやるためにがんばってみようという気持ちも起きてきて、母もそちらへ背中を押してくれました。

自分で選んだから、人のせいにするということはしませんでした。自分が決めてやると辛いことがないんですよ。もちろん辛い時はあるんですけど、続けていく上で、自分で決めたしと思えたことはとても感謝しています。

そういう経験があるので、うちは息子2人なのですが、なんかあれをしなさい、これをしなさいと言うより、自分の好きなことを見つけて欲しいなと思っています。自分で選んでもらいたいです。

また、私たち親とも全然違うことをやってほしいと思っているんですよね。すると自分が見てきた世界とは違う世界を見せてもらえるかな、なにかしら好きなものを見つけて、それが本当にやりたいことだったら一生懸命応援したいなと思うんです。」

添田「素敵ですね。自分で選んでいく。そして、香苗さんもそうだったように自分の身に起きたことが、次の夢や目標、挑戦につながっていくと体感してもらえるといいですよね。」


「出版の夢が実現した話」

添田「香苗さんは、出版もされましたよね。本っていつ出されましたか?」

香苗さん「2017年ですね。」

著書「病気のサインは足裏で読む」(幻冬社)

添田 「この本でも紹介されていますが、資格を取ったのはいつ頃で、出版社からお声がかかって出版されたのですか?」

香苗さん資格取得は2009年で、出版はご縁からつながりました。

出版する前、時々一人で息抜きの時間を貰って、家の近くの素敵なワインバーに訪れていたんです。そこでよく出会う方が、ある時出版関係の方だと知り,いつか本を出したい!という話をしました。こんな本が出したいという話をすると、そういう本は売れやすいとおっしゃって頂いて、名刺を頂いたんです。その直後、毎月開催していたセルフボディケアのワークショップを受けたいと、以前あるスタジオで講座を受けた方から連絡を頂いて、メールアドレスを見ると、数日前に名刺を頂いた方と同じ出版社のアドレスで、驚いてそのお話をして、ご縁を感じました。後に、その方はとても優秀な編集者の方でベストセラーも数多く出しているという話を聞きました。

私は元々、自費出版でもいいのでいつか本にできたらな、と思っていたので、『母が施術をしてこんなふうになったんですよ』という話を書き溜めていたんですよ。それを編集者さんに見ていただいて、面白いと言っていただけてまずはウェブマガジンに連載を持つ事になりました。

連載は順調に読者を伸ばし、15万アクセスとか、ウェブマガジンの中でもとても数字が伸びていたんです。しかし、ある記事を発端に、私が医者でもないのにこんなことを言っているやつがいる、ということで物議を醸しました。こんな出来事は出版社でも異例のことだったらしく、出版社の社長が、すぐに本にしなさいと編集者さんに伝えたそうです。多くの人が注目しているので本にした方がいいということで、実現しました。」

添田「なるほど、ご縁ですね。香苗さんがコツコツやってきたことがあってのお話なんですね。自分でこの先こういうことをやりたい。いつか本を出したい。その想いを形にして、下準備をやってきていたからこそ、きっかけがチャンスになって実を結んだんですね!良かったですね。」

香苗さん「まさかこんなに早く叶うとは、びっくりです。」


「自分で選びとることで、形を変えながら夢を叶えられる」

添田「先ほど、息子さんたちへの想いも伺いました。ご自身でこんなことをしたいと考えて進まれてきたからこそ、お子さんへもこんな力を持ってもらいたいな、自分で選んでいく力を持って欲しいとお考えなのですね。

自分が叶えたい何かを思っていれば、それを一つひとつ叶えることにつながっていく。夢を叶えることに対して、必要なのは自分で選んでいく力、という感じでしょうか。バレエをやってきた中で、バレエというか踊っていくことが今のご自身の生き様、ライフキャリアになっているのですね。」

香苗さん「そうですね。形を変えながら」

添田「きっかけ、スタートはバレエでしたけど、どんどんそれが形を変えて、今は踊りながらも足もみの大切さ。身体の大切さを伝えていると。」

香苗さん「踊ることによって人が反応してくれることも好きですし、足もみもそれは同じです。アドバイスをすることによってその人の体や、気持ちまでもが変わっていくことを見られる喜び。自分が発信することによって何かが生まれて人とのコミュニケーションが生まれることが好きです。

形は変わっても、私は人とコミュニケーションをとるのが好きなのだと思っています。振り返ってみると動けずに大変な時期もありましたが、今となってはその経験も生きてとてもよかったと思っています。」


~編集後記~

この話を皆さんに紹介するにあたり、今のご時世だからこそ、親子のメンタルコーチ®としてお伝えしたいことがあります。

自分が目指していたことであったり、思い描いていた人生とは違った「思わぬ道」に進むことになったとしても、そこから必ず得るものがある、ということです。

そういう時に、自分が世の中から取り残されているのではないか、とか、この先どうなってしまうんだろうとか、特に今は、そのように悩む方も少なくないでしょう。

例えば、何かを目指して夢中でやっていくことが素晴らしい道だと、何か見つけなければと考えるべきと思うかも知れません。

 
それと同じで、今のこの世界的な状況の中で、「自分の今の時間は無駄に過ごしているのではないだろうか」そのような不安を抱えている人も多いかもしれません。
 
ですが、一人ひとり、歩む道はその人の道筋であって、ちょっと視野を広げてみると、実はその時間が素晴らしい未来に続く時間であるということにも、ぜひ気づいていただきたいと思っています。

そして方向性に迷ったとき、母親の言葉や態度が背中を押すきっかけになりうる。
親として、どんな応援が我が子のためになるのか。客観的に考えることも必要ではないでしょうか。


香苗さんの親への感謝の言葉。「やりたいことに対して、自分で決めて進むことに対して応援してくれていたことです。」
この言葉の意味の深さに改めて心を打たれました。

 
もしこの記事を読んでいるあなたが、悩んでいたり、また、お子様が迷ったりしていたら、それまでの過ごした時間を肯定してあげてみてください。
キャリアは、ひとりの人生の時間そのものだから。
 

これからもあなたのキャリア形成を、応援します。

コミュニケーションの取り方、言葉の掛け方、言葉のチョイスなど、コーチング理論に基づき、ご相談をお受けしています。

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