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「そのひとりのキャリアのストーリーvol.12」海外バレエダンサーからの転身/佐々木 萌さん

今回は、元海外バレエダンサーで、現在はサロンやお店、お教室向けのブランディングやウェブサイト制作を手掛けるデザインスタジオを運営するかたわら、英会話教室や英語バレエのお教室立ち上げ等、多岐に活躍される佐々木萌さんです。

佐々木萌さん/インタビューの様子

5歳でモダン、10歳でバレエ人生をスタートさせ、ドイツ留学を経て海外でプロとして踊る夢を叶えてから今に至るまで、余すところなくお話くださいました。

未来を見据えた素早い決断、準備、諦めない行動力が、佐々木さんのキーワードです。


【佐々木萌さん プロフィール】

5歳よりバレエを始め、17歳でマンハイムバレエアカデミー(Akademie des Tanzes Mannheim)に留学
2016年〜2017年 カールスルーエ州立劇場バレエ団 研修
2017年 博士号取得。

2018年 ドイツ デッサウバレエ団 ゲスト契約
ドイツ ハルパーシュタットバレエ団 ゲスト契約

2019年 デッサウバレエ団に正団員として入団し、クラシックバレエからコンテンポラリー作品まで、カルメンのミカエラ、美女と野獣のベル、白鳥の湖のオデットなど数々の作品の主要な役を踊る。


2022年 バレエ団 退団。帰国後は、英会話教室に勤務。デザインスタジオAurora studioを設立し、サロンやお店、お教室にウェブサイトや、パンフレットなどの制作、ブランディングコンサルも行う。
2023年春 夫婦でバレエダンサーとして海外を目指す方のための英会話レッスン『Studio Rise and Shine English』を立ち上げる。
2024年 横浜市鶴見区に英語バレエのお教室をオープン予定


添田「萌さんが留学をしたきっかけや、バレエ歴を教えてもらえますか?」

佐々木さん「5歳の頃にお母さんに連れられてモダンバレエを始めました。

コンクールもモダン部門ばかり出ていたのですが、その楽屋での光景が印象的だったんです。

私は全身タイツのような衣装を着ているのに、部屋の向こう側にすごくかわいいチュチュを着ている子がいて、『なんで私こんなタイツを着てるんだろう?」と思って(笑)かわいい衣装でバレエをやりたくて、先生に相談してバレエ教室に通い始めたんです。10歳のときですね。」

バレエを始めた少女時代

添田「10歳からバレエに転向されたのですか?」

佐々木さん「モダンを辞めるのではなく、両方行っていました。

10歳でバレエを始めたときから、プロのダンサーになりたかったんです。

理由は何だったかな・・・クリスマスプレゼントにニーナアナニアシヴィリのDVDをもらって、それを見て完コピするぐらいに覚えていたんですよね。

『私これやりたい!』と思って、10歳のときには海外に行って踊ると決めました。

15歳ぐらいまではコンクールにたくさん出て、スカラシップをもらえたら海外に行ってもいいよと両親に言われたので大きなコンクールにも出たのですが、そう甘い話ではなく・・・大きいコンクールではスカラシップをいただけませんでした。

添田「そうだったのですね。それで、留学するまでの道のりはどうでしたか?」

佐々木さん「進路を調べているときに、『ドイツのバレエ学校はあまりお金がかからない』と先輩から聴いて、ドイツのバレエ学校を調べることにしました。

マンハイム、ミュンヘン、ハンブルグ、ベルリンとか、大きくなくても良い学校があるというのをネットで見つけたんですよ。

でも、該当するバレエ学校のスカラシップが出るコンクール(当時の話)の、エディケーショナルのバレエコンクールは、そのとき出場申込〆切が過ぎてたんですよね。本番2週間ぐらい前です。

マンハイム校長のカイル先生も来られるし、チャンスかな?と思い、バレエ教室の先生にも相談して、ドキドキしながら自分でコンクール事務局に電話をかけて、急ぎの手配してもらいました。

そのコンクールに出て賞をとれたらいいなと思っていたんですが、そんな賭けのようなこともできないから、校長先生に英語で手紙も書いてみました。

コンクールが終わって表彰式のときに、ギリギリ表彰台に行けたんです。

そのときに、『学校に入れてください』と書いて、手紙を渡しました。

そしたら、カイル先生が、『明日ワークショップやるから来てね』って言ってくださったんですよ。

次の日ワークショップに言って、そこで『来ていいよ』と言っていただきました。

それが無かったら、その次の年からビデオを送って、ドイツのバレエ学校のオーディション受けようと思っていたところだったんです。」

添田「なるほど、そこの積極性が凄いですね!」

佐々木さん「もう何がなんでもドイツに行かないと!と、思っていたんです。」

添田「学校に実際行ってから周りとコミュニケーションを取れるというか、積極性があることが大事でしょうね。積極的な子と、そうじゃない子では先生の目のかけ方が変わりそうですね。」

佐々木さん「それはあるかもしれません。

日本人ばかりで固まって、先生に自分が何を思っているかを伝えられない、何を考えているかわからないのでは目をかけてもらえなくなる可能性はあります。

逆に自己主張が強すぎるのも大変です。そこはうまくコミュニケーションを取ることが大切ですよね。

結構、自己主張が強すぎる子もいっぱいいるんです。日本人ではあまりいませんけど、海外では強すぎる子がいっぱいいるんですよ。そこはうまくやっていければいいのかなと思いますね。」

添田「実際にマンハイムの学校に入ってみて、カルチャーショックではないですけれど一番最初の印象は何かありますか。」

佐々木さん「それまでは、人生=バレエで、バレエ以外のことをせず、バレエ一筋だったのですが、学校に行ってみると意外とみんなそうでもないとわかったことです(笑)」

留学生時代

添田「その『みんな』とは、日本人ですか?」

佐々木さん「日本人もですが、全体的に、特に外国の方はそうだったかもしれません。

『バレエ以外にも好きなことがあっていいんだな』って思いましたね。」

添田「萌さんの学校生活はどうでしたか。バレエばっかり?そんなことはないですか?」

佐々木さん「そんなことはなかったです。きっと、人生で一番時間があったのはバレエ学校時代でした(笑)。」

添田「それは学部にもよりますが、ある意味日本の大学と一緒ですね。大学生って一番時間があるから。」

佐々木さん「暇がありました。忙しい子は忙しかったと思うんですが、私は落ちこぼれだったので暇でしたね。」

添田「時間があるときは何をやっていましたか?」

佐々木さん「勉強もしていましたが、出かけもしました。

1、2年目はわからないことだらけだったので日本人の子と一緒にいることが多かったのですが、3年目からは就職活動をしなければいけませんでしたし、知見を広げるためにも一人でいろんなところへ出かけてましたね。」

添田「就活は3年生のときでしたか?」

佐々木さん「4年生です。

5年生に残れる気配がなかったのと、精神的にきつくなってくるというか、年数が経つにつれて自己肯定感が下がりつつある感じでした。

外に出ようと思って、意識的にマンハイムにいる時間を減らして外に出ていましたね。

色々とオーディションしたり、違う都市にバレエを見に行ったり、違う国のバレエ学校に行っている友達に会いに行ったりもしました。」

添田「あちこち行ってどんな感じでしたか? 自分の中で変化はありましたか。」

佐々木さん「“バレエだけがすべてではない”という価値観、自分の考えを大事にしたいと思うようになりました。

バレエ学校の中では、バレエが上手な人が良くて、下手な人は残念、そういう価値観になっていくと思うんですよね。それはバレエしかやらないからです。でも外の世界に出たおかげで、バレエができる=偉い。ではないっていうことは感じました。

バレエの練習だけをしていることが、必ずしもいい表現者であるとは断定できないというか、バレエだけに打ち込んでいるから表現者として優れているわけではないと。それを自分に言い聞かせていたところはありました。

人生経験が大事と思って、過ごしていましたね。」

添田「バレエ学校の中にいて、限られた人だけが舞台を踏むとなると、自分は選ばれないんだとか、思うところもありそうですね。」

佐々木さん「選ばれない=自分は価値が無いみたいな感じになってしまっていたと思うんです。

学校の中にいて、学校の友達とバレエの話だけしていましたし。だからその世界から出て、学校の人以外の人と会うことも大事だったなと思うんです。」

添田「それをマンハイムにいたときに気づかれたのですね。」

佐々木さん「バレエ一筋=優れているダンサーになれるとはちょっと違うんだ、ということですね。」


添田「その後、就活でバレエ団を受け始めてから、どれくらいで決まりましたか?」

佐々木さん「全然決まらなくて、卒業まで決まらなかったんですよ。

でも、日本には帰りたくなかったんです。ここで日本に帰るのはちょっと納得がいかないと思いました。

ちょうどバレエ団を見始めたときに、いろんなバレエ団に行って、『これ私、いつかは行けるんじゃないかな』と思ったんですよ。

オーディションも学生だから全然相手にしてもらえなかったのですが、バレエ団のダンサーたちを見ていたら、私ももう少し頑張ればいけそうな気がする!と思い始めました。

バレエ学校の中では、先生たちからの学校内評価がすべてでしたけど、外に出てみるとカンパニーによって重要視していることが違うし、狭い箱の中にいたなと思ったんです。

今ここで、日本に帰ってしまったらもったいないし、コツじゃないけれど、やり方がわかってきたからあともうちょっといたいと思いました。

それで、その後ビザを出してくれる小さいバレエ学校を探していたんです。マンハイムよりもさらに小さいところですね。

マンハイムで5年生に残るのとかかる費用が同じか、それより少ないプランを自分で作って、そのバレエ学校のお月謝、家賃、生活費などです。

5年生に残るより費用が少なければ両親を説得できるかなと思ってプランを作って、『1年以内にカンパニー決まらなかったら辞めます』と親に提案してみたら、『どうぞ』って結構あっさり承諾をもらいました。


佐々木さんそれで、プライベートスクールにすぐに通い始めて、毎日レッスンを受けて、ジムも通ってカンパニーのオーディションをして、3か月くらい過ごしました。

それがすごく良かったんです。人からの評価もないし、自分のことに集中できますし。

その時期にいろんなカンパニーを見に行かせてもらって、プライベートオーディションもさせてもらって、ゲスト契約をもらったんです。

旦那さんが働いているカンパニーでした。彼もマンハイム出身なんです。

私はそのカンパニーに週末のたびに遊びに行っていたのですが、そこで声をかけてもらって5年間働きましたね。」

ドイツにてプロダンサー時代

添田「こういうのってなんだろう、本当にタイミングなんでしょうね。」

佐々木さん「タイミング、本当にそうだと思います。

そこで働いている間に、他のバレエ団でゲストをしながらフリーランスのような形で2年位やって、新しいディレクターがそのカンパニーに来て、正団員契約をもらってそこから3年間は正団員でやりました。」

添田「そうだったんですね、タイミングと人脈ですね。」

佐々木さん「結局、運と人脈ですね。」

添田「ですね。それから日本に帰ってこられたんですよね。もうやりきった感はありましたか。」

佐々木さん「それもありました。

やろうと思えば、きっといつまででもできたんです。

私一人ならきっとまだ踊っていたと思うのですが、結婚をすることにして、その後のことも2人で考え直しました。結婚して夫婦2人ともダンサーはきついかなと・・・30代後半あたりまで2人とも身体も壊さずダンサーをやれたらいいのですが、いつ何があるかわからないですし。

2人とも、“海外でプロになること”が夢だったんです。

『もう夢が叶ったよね。これ以上続けても、私たちがベルリン国立バレエに入ることは一生ないし、続ければ経験は増えるかもしれないけれども、あと10年同じようなことをやるのか、早いうちに何か新しいスキルを手に入れて、キャリアチェンジして新しいことに挑戦するかどっちにしよう。それなら、新しいことでしょ!』と、なったんです。

その時はカンパニーで最年少だったのですが、2人とも辞める決断をして、そこから旦那さんは英語の先生の資格を取る勉強、私はデザイナーになる勉強を始めて、辞めるまで2年間準備しました。』

添田「それはカンパニーで踊りながらですか?」

佐々木さん「そうです。踊りながら朝5時に起きて勉強して。カンパニーを辞めて今に至ります。」


添田「日本に住むことにした理由はありますか?」

佐々木さん「もし子どもができたら日本で子育てをしたいという旦那さんの想いがあったんです。

私はどこでも良かったんですけどね。」

添田「ご主人はどこの国の方でしたっけ?」

佐々木さん「オーストラリアです。

私はむしろメルボルンとかに住みたかったんですけど、日本に住みたいって言われました。日本語学びたい、日本で子育てしたい、日本のコンビニが大好きと。」

添田「そうだったんですね。日本人でね、やっぱりオーストラリアに住みたいって言う人は多いみたいですけどね。」

佐々木さん「私はそちらに住みたかったのですが、日本に住みたいって言われたから私は夫が行くところどこでもついていこうと思っていいよと伝えました。」


添田「日本に住み出してからどれぐらいになりましたか。」

佐々木さん「今2年目です。去年の夏に帰ってきたから、1年とちょっとですね。」

添田「そうなんですね。旦那さんは英語の先生をしていて、そして萌さんはデザインですか。

今、お仕事で大きなプロジェクトもやらせてもらえたって、萌さん自身がデザインされたものなのですよね。」

佐々木さん「たまたま私のインスタを見つけていただいたんですが、芸能の方がプロデュースされるグッズデザインのお仕事をインスタ経由でもらったんですよ。

今そのグッズが発売もされたところです。

こういうお仕事はインスタ経由で来るものなの?本物かな!?と思ったんですが、本物でした。」

添田「持ってますね〜!

萌さんは、学生時代から、お部屋真っ白に、おしゃれにしていたそうですよね。デザインはそもそも好きだったのですか?」

佐々木さん「デザインは好きで始めました。子どもの頃からパソコンは得意だったんです。

だから、なにかパソコンを使った仕事にしようと思って、最初はプログラミングをやっていたのですがそれはあまり楽しめなくて(笑)WEBデザインを始めてみたら、『あ、私これが好きだ!』となったんです。

かわいいものやおしゃれなものは好きでしたけど、それを仕事にしていいものだとは思わず、趣味だと思っていたんですよね。

自分のパーソナリティーの一部の、お洒落やファッションが好きなことが本当に仕事につながるとは思っていなくて、気が付いたらそこにいたっていう感じです。」

添田「気が付いたらそこにいるというか、たどり着いていたんですね。」

佐々木さん「そうなんです。『ここに来る』という明確な計画は立てていないんです。

バレエのときは、10歳ぐらいの頃にはロイヤルとかパリオペとか大きくて誰もが憧れるようなカンパニーを目標にしていましたが、次第に、自分のレベルに合うゴールを少しずつ設定し直していくじゃないですか。

そうして行き着いたところがドイツのカンパニーだったのですが、デザインもそんな感じで、色々とやりながら、その都度到達できそうな目標設定をしてたどり着いた先が今ここ、という感じです。」

添田「デザインをやりつつも、他にも興味があればやっていかれるのかもしれませんね。」

佐々木萌さんご夫婦

佐々木さん「これからバレエスクールと英語スクール、英語でバレエを教えるスクールを始めるために準備しているところなんです。スタジオのリノベーションをしました。

私はバレエを教えるのもすごく好きなんですよ。

自分が子どもの頃に苦労したこと、知りたかったことを、今になって子どもたちに伝えていけるのがすごく嬉しくて。バレエを教えるのが実は結構楽しかったりするんです。」

添田「今はプライベートみたいな感じで教えをされているのですか?」

佐々木さん「今は週に1回、自分の出身の教室で先生のお手伝いをさせてもらっています。

小学校4〜5年生ぐらいの子たちと、中学生以上の子たちのクラスで教えをさせてもらっていて、それがすごい楽しいんです。

英語はバレエで海外を目指す子供達のためにプライベートレッスンをしています。

ちょうど先日、ユースアメリカグランプリの表彰式を見ていて、今、英語を教えている生徒が一位で賞を取っていたんですね。もう自分のことより嬉しかったんですよ!

子どもの成長や夢を叶えていく過程に関われることはとっても楽しいなと思いましたね。」


添田「素敵ですね。萌さんの話を聞いていると、これまでのキャリアで、要所で準備をきっちりされてからスタートしていると感じます。」

佐々木さん「自分では全然ちゃんと準備しているつもりはなくて、結構勢い任せでやることもあるんですけどね。とりあえずやろう!みたいに。」

添田「とりあえずやろう!それと、そこに対しての小さな準備でしょうか。」

佐々木さん「そうですね、実は心配性なところもあるので小さな準備はします。

ただ、色々な方と話していて思うのは、“これをやろう!”と準備を始めるための第一歩がなかなか始まらない人が多いみたいですね。

私はそこが結構早いかもしれません。思いついたらやらないと気が済まないんです。」

添田「自分の特性をわかっているのは良いことですよね。人それぞれみんな違って、だれもがそれぞれの人生だから、自分で個性がわかっていれば楽しくやっていけるのでしょうね。」

佐々木さん「本当にそうですね。これから英会話とバレエのスクールをオープンするのですが“自分の人生は自分で決める”といったミッションを今作っているところです。

生徒さんには、自分の意思で自分の足で、自分のやりたいことをつかみに行ける人になってほしいなと思っています。」

添田「萌さんはこれから自分のお教室を持って行かれるんですね。」

佐々木さん「これからは経営の方も頑張りたいなと思っていて、それも勉強しながら、教える勉強をしながらデザイン作ってやりたいことがいっぱいあるんですよ。

添田「すごいですね、多岐に渡りますね。」

佐々木さん「やりたいことを全部やらないと気が済まなくて、それから自分がどれだけできるかちょっと見てみたいというのもあるんです。」

添田「そう、その様子を親御さんはどう見てますか?」

佐々木さん「面白いと思っていると思います(笑)うちの家族みんなそんな感じですね。」

添田「ごきょうだいはいらっしゃるんですか?」

佐々木さん「三姉妹、長女です。

子どもの頃はお母さんに喜んでもらうために頑張っていたという面もあるかもしれません。成績をキープしないとバレエをやったらだめだよと言われていたので、学校の勉強も真面目にやっていましたが、ドイツに行って吹っ切れたんです(笑)

勉強もバレエも真面目にやってきた人生だったので、ドイツでちょっとカルチャーショックを受けたかな。」

添田「なるほど、そこで自分で違う世界を見て、色々なことに気づかれたんですね。」

佐々木さん「そうですね。ドイツに行って、本当に自分はバレエをやりたかったんだなということに気が付いたりもしました。

本当にやりたかったからこそ自分でプレゼンしたし、私はこれがやりたいんだと気づくきっかけになりました。親の期待に応えていく選択も別に苦じゃなく、楽しいんです。だけど本当にやりたいことで良かったと思いましたね。」

添田「是非、これからも頑張ってくださいね。」

佐々木さん「ありがとうございます。」


添田「最後に、これから今同じようにスカラシップが欲しい、海外でプロになりたいと思う生徒さんに向けて、何か一言、そこの道を通ってきた先輩からのひと言があったらお願いできますか。」

佐々木さん「必ずしもみんながやっていることが正解ではないと伝えたいです。

例えば、私の周りはユースでスカラシップを取って学校に行った子がほとんどでしたが、やり方は色々あります。ちょっと視野を広く持ってみると、もしかしたら、もっと自分に合ったゴールへの行き方があったりするかもしれません。

それが私の場合は校長先生に手紙書いて『行きたいです』と伝えることだったのですが(笑)みんながやることイコール正しいことではないし、今は情報もたくさんあるので、“情報を手に入れに行く力”も大事かなと思います。」


親子のメンタルコーチ®の目線で、佐々木さんのインタビューに寄せて少しコメントいたします。

バレエで夢を叶えた先に、続けていくか、新しい道へ進むか。どちらも選ぶことができます。

夢を叶えた先の「新しい選択肢」が見えてくるタイミングや、最適な決断も、すべてがその人次第です。

どんな道のりであっても、真剣に向き合い決めて行動することで、次のステップでも必ずバレエのキャリアが活きてゆくはずです。

今回お話を伺った佐々木さんは、未来へ進むための「最初の一歩」を踏み出すスピードが早く、その胆力で未来を切り開いてこられたエピソードの数々が印象的でした。

レッスンや日々の努力はもちろん、未来を運任せにせず、タイミングよく決断と行動をし続けることが夢を叶え続ける秘訣なのでしょう。


佐々木さん、貴重なお話をいただきありがとうございました。これからもぜひ応援しています!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回のインタビュー【そのひとりのキャリアストーリー】も、お楽しみに!

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